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KIKI歌野

Author:KIKI歌野
物書き(♀)です。アダルト表現を含む物語もありますのでご注意ください。ふと訪れた方々が楽しんでくださればうれしいです。
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コメ欄を閉じていますので、ご意見、ご感想、ご連絡などございましたら、こちらまでお願いいたします。

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KIKI歌野の、たあいないものがたり
小説を書いています。官能を含む恋愛小説、普通の小説をぼちぼち載せていきます。たぶんまあまあ面白いです(つまんなくても暖かい目で見守ってください・・笑)


  NEW!!☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 2012年8月
 直己×香枝の最新作『パーフェクト・ビューティー・オブ・ライフ』アップしました。

 ゴメンナサイ、今回は有料コンテンツですが、(1)のみ無料で試し読みしていた
 だけます。

  皆様から寄せられたご感想はコチラ → ★★

 
 2010年11月
 直己×香枝の第四弾『ラヴァーボーイの受難』アップしました。


   インデックス・作品紹介
  初めてのお方はどうぞ。このブログ内の小説ラインナップが一目でわかります。


  キャラ紹介
  小説のキャラ紹介です。「100の質問!」コーナーもあります。お時間のある方はぜひ


  KIKI歌野の日記
  皆様へのお知らせとかお礼とか言い訳とか、いろいろ書いてあります。


  ツイッター
  キャラなりきりつぶやきもやってますので、小説を気に入ってくださった方なら
  楽しめると思います。ぜひのぞいてくださいね(現在停止中・・・ごめんなさい)



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八月のアンビバレンス・ラプソディー (4)
 夜明けのオフィスの静寂に、濡れたキスの音が断続的に響く。涙と欲情はセットになっているのかもしれないと香枝はまだ泣きながら思う。激しさを増すキスは、いつ止むとも知れない驟雨のように続いている。
「香枝・・」
 キスの途中で、直己は香枝の名を呼ぶ。返事など期待していないかのように。ただ呼びたいから呼ぶのだというように。
「直己・・触って・・・お願い・・」
 愛撫を乞う香枝に、直己は頬へのキスで答えると、ブラをずらして敏感な乳首に触れた。指先で触って固くしながら頭を下げ、もう一方の乳首を唇に含む。キュッと歯を立てて軽く噛まれた。
「あっ」
 自分の短い悲鳴で頭の霧がふっと晴れた。唇で胸をいたぶられ、香枝のパンツのファスナーを降ろして股間に潜り込んだ手に、いつのまにか快感を与えられている。オフィスでこうやって体を触られても何の抵抗もおぼえない自分は、直己を知る前とは別の女だ。
「あ・・あっ・・」
 奥深くまで入った指の巧みな動きに香枝の息は激しくなる。直己がするからこんなに興奮させられるのだ。体の中心から溢れた熱い泉を、デリケートで大胆な指が掻き出していく。切なくてまた泣けてくる。イキそう、と香枝は小さな声で喘いだ。
「イキな・・・」
 耳元で答える直己の囁きは、強く甘い。微電流が背筋を駆け抜け、香枝はまたたく間に絶頂に達してしまった。香枝の体が落ち着くまで抱き締めてくれていた直己は、「続きは俺んちで」とこともなげに言い、香枝の唇にキスをした。

 直己の部屋に着いたとたんベッドに倒され、服を全部剥がれた。疲労困憊でぐったりした体をまた愛撫で昂らされ、ほとんど一方的にされているだけのセックスを終えるや、香枝はフリーフォールのような眠りへと落下した。直己が傍にいてくれる絶対的な安心感は、どんな睡眠剤より強力に作用する。
 数日ぶりに深い眠りを貪った後で目が覚めたのは、背中に感じるくすぐったさのためだった。背骨をゆっくりとなぞる指の感触にクスクス笑いながら顔をねじ向けると、ベッドの縁に腰かけた直己が微笑み返した。真っ白なシャツの肩が窓からの陽を跳ねて眩しい。
「何やってんの・・・」
「お前の背骨数えてんの。暇だから」
「あれ? 今日って確か」
 香枝は上体を起こしたが、何も着ていない自分に気付き、布団を胸の上まで引き上げた。
「出張だよね。まだ行かなくていいの?」
「三時の新幹線だからあと三十分で出る」
「東京駅まで見送る。シャワー借りるね」
 慌ててバスルームに向かい、大急ぎで体を洗って髪を乾かし、バスタオルで体をくるんで外に出てから、昨日の服しか着るものがないことに気づいた。
「あーお前の荷物、畑中から受け取っといたから」
 ベッドに腰掛けて腕時計を身に付けていた直己が視線を投げた床に、香枝の特大バッグが二個置いてあった。
「えっ、いつの間に」
「早く服着ろ。置いてくよ」
 香枝はバッグを開けて衣類を取り出し、下着を身につけた。ノースリーブのざっくりしたワンピを着れば支度はもう終了だ。直己はちょっといやらしい眼で香枝の着衣を鑑賞していたが、立ちあがって背中のファスナーをあげてくれた。香枝の手を取り、何かを握らせる。部屋の合い鍵だ。
「これって・・・」
「当分はここにいな。で、上手くやってけそうなら、俺はそのまま一緒に暮らしたいと思ってんだけど」
「え?」
「まーもし同居に抵抗あんなら、俺の眼の届く近所に越してきてくれてもいい。とにかく今のマンションは引き払え。なるべく早く」
 いつものように断定的に言うと、直己はキャリーケースを引いて「行くよ」と言った。

 東京駅に向かう地下鉄のシートに直己と並んで座りながら、香枝の心は乱れに乱れていた。
 同棲のオファーを受けた。と言ってもごく控えめな提案に過ぎないが、正直に言えばちょっと嬉しい。だが向う見ずに同棲生活に突入できるほど香枝は世間知らずではない。
黙りこくった香枝の横で、直己もまた口を閉じている。横顔の表情は何も読めない。困ったことに、と香枝は直己から視線を外して前を向いた。あたしはこの男に惚れ抜いてしまっている。
 東京駅に着き、広い複雑な構内を新幹線のホームに向かう。博多行きの東海道新幹線は既にホームに停車していた。離れ離れに週末を過ごす切なさが俄かにこみあげ、香枝は直己の背中に腕を回して身を寄せた。こういうカップルって目ざわりなんだよな、と思いながら直己の唇に一瞬のキスをすると、意外なことに眼の前の顔は少々うろたえていた。
「お前は外人か?」
「だって寂しいんだもん」
 香枝の手を引っ張って新幹線のドアの脇に連れ込むと、直己はやや呆れたような顔を近づけて囁いた。
「そんな寂しいなら俺と一緒に暮らせば?」
「ずるずる同棲とか、けじめがないのはやだ」
「なら籍入れるか」
「はい?」
「籍入れて宇田川香枝になりゃいいじゃん。そうすりゃ堂々と一緒に住めるし」
 香枝は呆気に取られ、この男の頭の中はどうなっているのかと眩暈すら覚えた。
「そんな・・そんなのまだ無理! それこそ早すぎ! めちゃくちゃ嬉しいけどタイミング違うから」
「そ? いつかは結婚すんだから、今したって同じじゃね?」
 その「いつかは結婚」って決めつけは何ですか。大体あなたからプロポーズされたことなんか一度もないですけど、と反駁しかけた香枝は、直己の眼の中に揶揄が混ざっていることに気付いた。
「・・・ウケない冗談言わないでよ」
「ウケねーのは悪かったけど、別に全然冗談でもない」
「わかった。もう黙って。混乱する」
 香枝は直己の唇を手で塞いだ。ドキドキしすぎて息ができない。直己の肩におでこを乗せて、上下する胸の弾みを抑えようとした。
「げっ、嘘!」
 鋭い女の声が聞こえ、直己と香枝は同時にその方向を見た。眼の前のホームに、マーケの三人のアラサー女子連が立っていた。大きなバッグを持った旅の姿で、巣の中のひな鳥のように口をあんぐり開けている。なぜ彼女達がここにいるのかという疑問よりも先に、今までの隠匿の苦労がすべて水泡に帰したことも、今後どんな申し開きや取り繕いをしようと、もはや無駄だということを、石化した香枝は瞬間的に理解していた。
 新幹線のドアがするすると閉じた。口を開けたままの彼女達が視界から消えても、直己と香枝は棒立ちのまま動けずにいた。
「あいつら」
 直己は抑揚の消えた声で言った。
「どこに出張に行くんだ?」
「直己・・・新幹線に乗る人が全員出張なわけじゃないよ。京都に旅行って言ってた。今思い出したけど」
「へー」
 直己はドアに後頭部を押しつけ、気の抜けたようなため息をついた。香枝が腕に触れると顔を傾けて視線を合わせた。
「あいつらの口って羽より軽いよな」
「と思う」
「月曜日には社内中が知ってるってわけだ」
「どうする?」
「さーな。全然わかんねー」
 答えた途端に直己は小刻みに笑い出し、すぐに爆笑に発展した。とにかく可笑しくてたまらないといったような、弾けるような笑い方だった。笑いの種は香枝にも飛び火し、同じように大笑いしてしまった。「なんでこんなに笑ってんの」「知らねーし。てかお前なんで新幹線乗ってんだ」と言い合いながら笑い転げ、笑い声の応酬はいつまでも止まらなかった。
 窓外は猛暑だ。林立するビルに見え隠れする水色の空の底に、入道雲の一群がある。
「・・・明日は梅田と神戸って言ってたっけ?」
 香枝はようやく息を整えて涙を拭うと、真っ白に立ち上がる雲を見つめながら言った。
「あたしも一緒に行こうかな」
 直己の顔に視線を移して「行っていい?」と問う。直己はまだ胸郭を震わせて小さく笑いながら、眼を細めた。
「店舗視察に? お前出張申請出してねーだろ」
「ねえ明日は日曜だよ。直己にもちゃんとリラックスして休んで欲しい。思い切り寝坊して、美味しいもの食べて、大阪でも神戸でもどこでもいいから、手をつないで歩きたい」
「手をつないで歩くねえ・・・」
 直己は唇の下のあたりを掻いた。
「それやったら一緒に暮らしてくれんの?」
「もちろん。いつかだけど」
「けち」
 香枝の髪の先をつまんで軽く引っ張った。
「ま、いいや。新大阪に着くまでに、オフィスにおける今後の対策と戦略を練ろうぜ」
 何か吹っ切れたような顔の直己に「うん」と頷き、香枝は強烈な熱量の陽射しに眼を瞬かせた。その刹那、子供の頃の夏休みの幸福が胸によみがえった。明日は大好きな人とデートだ。この日がただ一日の夏の日というように、心を歌わせて楽しもう。
 大阪で一番行列の長いたこ焼き屋でも探しとくか、と直己は冗談を言い、突っ込みを待っているようだったが、香枝は微笑みを浮かべたまま何も言わず、恋人の頬に短いキスをした。




(おわり)



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八月のアンビバレンス・ラプソディー (3)
 翌日の木曜日の朝、香枝は両手に大荷物を抱えて部屋を出た。最低四、五日は沙織のマンションに避難させてもらう心づもりで、本人の了解も得てある。夜間にあんなヤツらがたむろっているかと思うと恐ろしくて帰宅できない。一人で部屋にいるのも心細く、昨日はろくに眠れなかった。どれだけ直己を恋ったか知れないが、意地が不安に鼻の差で勝ち、香枝は忍の一字を決め込んでメールも電話もしなかった。
 暗澹たる思いで出社する道すがら、直己を見かけた。会社の近所のオープンスペースのベンチに腰掛け、個人携帯で誰かと話している。破顔一笑し、「おーマジで?」と楽しそうな笑い声をあげた。
「あいつ帰国すんの? じゃ皆で同窓会やろうぜ。どっか店予約しとくからさ」
 香枝は気づかなかったフリをして通り過ぎた。やばい。駆けよって縋りつきたくてしょうがない。だが笑い声を聞くだけで癪に障る。アンビバレンツな感情に引き裂かれていると、追いついた直己に「ういっす」と声をかけられた。
「なにその大荷物。今日出張だっけ?」
「違う」
「重そっすね。持ってやろっか」
「結構」
「あっそ」
 直己は昨日のことなんかすっかり忘れた顔をしている。というより本当に忘れたに違いない。余裕の足取りで香枝を抜き去り、着信音を立てた会社携帯を取り出して仕事の話を始めた。
「どーも。お世話になってます。今週末の件なんすけど、鹿島田選手の誕生日が近いんでサプライズっぽくしたいんですよ。いやとんでもない。是が非でも次期契約とりつけたいんでこっちも」
 遠ざかっていく背中を見送る眼に涙が滲みそうになる。いや泣かない。絶対泣いたりするもんかと意を決し、香枝は肩に食い込む荷物を抱え直した。
 だがその日の仕事は新人並みの失敗の連続だった。ExcelのIF関数の定義を間違えてデタラメな市場分析をしたり、やっと完成した資料を削除してしまったりで、自分の尻ぬぐいで残業する羽目になった。しかも来週のスポーツイベントで配布するノベルティーの一部に、自社工場で混入したらしい小さな金属破片が見つかったため、一万個のノベルティーのダブルチェックを大至急行うよう、直属の上司であるシニアマネージャーの倉田から業務命令が下った。
「一万個? 大至急っていつまでですか?」
「今週中。つっても明日はもう金曜か。悪いけどお前が責任者ってことでヨロシクね」
「人員の確保は?」
「それもお願い」
 別名『キラー・パスの倉田』と呼ばれる上司は、至極気軽な調子で香枝の肩を叩いて去っていった。明日の夕刻、数十箱の段ボール箱が運び込まれ次第の作業開始になるが、数量から考えても夜を徹しての作業になるだろう。なんで次から次へと事件が起こるのだろうと頭を抱えていると、プライベート携帯にメール着信があった。外出先の直己からだ。
『あの荷物何?』
 気にしていたのか、と少し驚く。だが三分後にミーティングが始まるので事の仔細を説明している時間はない。『今日は沙織んちに泊るから』とだけ返信をした。
 会議にやってきた例の三人のアラサー女子連に「明日手伝ってくれない?」と声をかけてみたが「あたしら土曜から京都旅行なんだよねー。旅行前に徹夜とか無理」とあっさり断られてしまった。

 その夜、香枝は自宅とは逆方向の沙織のマンションで一晩を過ごしたが、彼女の歯ぎしりで飛び起きてしまい、枕を抱えてリビングのソファーに移動したものの全然眠れなかった。
 翌朝は「歯ぎしりがうるさい」「泊めてやったのにいちいち口うるさい」とつまらない口喧嘩に発展し、互いに顔を背けて出勤した。火曜は野宿、水曜も木曜も睡眠をロクにとれずフラフラだというのに、今日もいつ帰れるのやら見当もつかない。香枝は一番高いユンケルを二本買い、「これも経費で落としてやる」と呪いをこめて呟きながら薬局の前で一気飲みした。オフィスに戻ると、携帯の一件を無邪気にバラした例の派遣女子が、「籾山さーん」と香枝のデスクを覗いた。退社時間なのでバッグを手に持っている。
「今日は皆さん大変なんですよねー。頑張ってくださいねー」
「ありがと」
「籾山さんて宇田川さんと付き合ってるんですか?」
「は? 何?」
 香枝は眼を白黒させた。なんて声の大きい女だろう。近くにいるスタッフは全員聞き耳を立てているに違いない。
「いきなりごめんなさーい。でも聞いてこいって皆に言われちゃってー」
「付き合ってるわけないじゃん」
 香枝はキッパリと否定した。
「ハッキリ言うけど、変な噂立てられてめちゃくちゃ迷惑してるんで!」
「そうなんですかあ? なんかすいません。だって皆が」
「じゃお疲れ。いい週末を!」
 香枝は席を立つと、今しがたノベルティーの山が運び込まれた二十階の大会議室に向かった。直己の洞察は正しい。嘘の否定などしたくないと歯ぎしりをする青い自分が、処世の檻の中で地団駄を踏んでいるのがわかる。いつまで嘘をつき続けることになるのだろう。どちらかがマーケ以外の部署に配置換えになるまでか、あるいは転職、それとも別れるまでだろうか?
 三拝九拝して確保した九名のスタッフは既に作業を開始していた。個別包装されたグッズをビニール袋から出してチェックしては戻すという地道な作業を、最初こそ冗談など飛ばし合いながらやっていたが、時の経過と共に無口になっていき、十時間後の午前三時半に全ての作業が終了したときには全員の顔に死相が浮かんでいた。香枝は一人一人のスタッフに「ありがとう」と頭を下げた。
「今タクシー呼んだから。ミドリちゃんと永嶋は遠方だよね。向かいのホテル予約したから泊って。皆週末はゆっくり休んでね。ホントお疲れでした!」
「籾山さんは?」
「もうちょっとしたら帰る」
 こんな時間に帰宅して沙織を起こしたらまた喧嘩になってしまう。夜が明ければ恐怖は薄れるから、今日のところは始発で自分の部屋に帰って眠ればいい。香枝はだるい体を引きずって自分の席まで戻ると、デスクに突っ伏した。直己は今頃眠っているだろうか。昨日の朝以来一度も顔を見ていない。二度と会えないままあたしは死体になるかも・・と本気で怯えた一瞬の後、香枝は眠りの触手に全身を掴まれて意識を失った。


「香枝」
 後ろから両肩を掴まれ、体を揺すぶられている。夢と現実のボーダーラインに立った香枝は、自分の名を呼ぶ直己の声を靄の中で聞いていた。沼の底で手足をもがくような奮闘の末に眼が少し開いた。息が苦しい。どうやらデスクとキスをしているようだ。
「こんなとこで寝んな。家で寝ろ」
 左の耳に温かいものが触れた。直己の唇だ。
「・・何時」
 これは自分の声だろうか。老婆のようにしゃがれている。
「午前四時過ぎ」
「なんで」
 ここにいるの、と問いたいが、眠すぎて語尾がムニャムニャになってしまう。
「畑中から事情聞いた。まだお前が帰ってきてねーって心配して俺の会社携帯にかけてきたんで」
 畑中というのは沙織の名字だ。
 直己の手が香枝の両肩から腕に、肘の下へとゆっくりと降り、いたわるように撫でさすった。香枝の指の間に自分の指をいれ、力強く握り締める。温かい手が心地よく、香枝は重い瞼を閉じた。うなじを優しく唇で吸う音がする。
「直己・・人が・・」
「もう誰もいない」
 なかば朦朧としているのに、直己の唇が触れたところから皮膚が目覚め、こごった血が流れ始めていくような疼きが間歇的に走る。
 直己は香枝の上半身を起こし、キャスター付きチェアーを半回転させて自分に向かい合わせると、唇に唇を差し込むようなキスをした。体をねじ込ませて椅子に座り、両腕で香枝の体を抱き寄せる。香枝の両脚は直己の腰を挟む格好になり、まるで繋がっているときのようだ。
「もっと・・ギュッとして・・きつく・・」
 香枝は夢うつつでキスに応えながら、直己に甘えた。直己はそれに応じ、わずかな隙間もないほどに香枝を抱きしめて体を密着させた。幸福感の奔流が胸に流れ込んでくる。
「大丈夫か?」
 唇を少し離し、直己が静かに問う。
「今大丈夫になった」
「とか言いながら目閉じんな。起きろ」
 再び唇をあわせながら、胸を強めに掴まれる。
「あっ・・」
 頭の覚醒より欲情の立ち上がりのほうが早く、香枝は拒否のそれではない声をあげてしまう。
「何やって・・ダメ・・」
「あの大荷物の理由を俺に言わなかったのはなんで?」
 唐突な問いに、ドキッとして眼が開いた。沙織が喋ったのだろうか。きっとそうに違いない。直己は静かな表情をしているが、眼の中に得体の知れない光がある。香枝のブラウスの前を手早く開き、手を差し入れて愛撫を加えた。
「どうしてすぐ言わなかったのか教えて」
「あ・・ちょっ・・」
 こんな風に胸を揉まれて、説明などできるはずがない。
「だって、それは」
「だってもあさってもねーよ。お前ってつまんねーとこで意地張るのな」
 香枝の唇を軽く噛んで離し、複雑そうに笑う。額と額をくっつけると、形のいい鼻孔から溜息を押し出した。
「結構傷ついた。真っ先に言ってほしかったから」
「あたしだって言いたかったよ。でも」
「でも?」
「人気のない夜道歩くほうが悪いとか、マンションの立地考えないで借りたのもバカだとか、絶対言うと思ったし・・・」
「そりゃ言うっしょ。二度と危ない目に会ってほしくねーから」
「わかってる。でもあたし、怒られるより先に抱き締められたかった・・こういう風に」
 香枝の眼から涙が流れた。ぽろぽろと涙が湧いては鼻筋をつたい、顎まで垂れていく。疲れた。死ぬほど眠い。もどかしい。来てくれて嬉しい。
「あーよしよし。泣くな」
 直己の頬に浮かんだ笑みは「しょーがねーな」的な苦笑に近かったが、涙を拭ってくれる指や手のひらは優しかった。直己の唇が頬や目尻にそっと触れたので、香枝は陶然と眼を閉じた。直己の背中に腕を回し、自分から唇を重ねる。



八月のアンビバレンス・ラプソディー (2)
 携帯電話がないことに香枝が気付いたのは、二時間に及ぶ会議が終了し自分のデスクに戻った時だった。会社の携帯はあるのに、プライベートの携帯がバッグに入っていない。
「やだ、どこに置いてきたんだろ?」
 バッグの中身をデスクに全部出してみたが、やはりどこにもなかった。
「どうしたの?」
 例の三人の女子連が集まってきた。携帯がないと言うと揃って呆れた顔になる。
「だいたい飲みすぎなんだよね」
「どーやったら失くせるのかなー。あんなバカでかいボンボンがついた携帯」
「宇田川さーん、あれ? さっき会議から戻ってきませんでしたあ?」
 新人の派遣社員の女子が受話器を持ったまま、立ち上がって周囲を見渡している。
「コーヒー飲みにいくって、また出てったけど」
 香枝が答えると、派遣女子は頷いて電話応対に戻った。
「すみませーん、席はずしてますー。じゃ復唱しますね。えーと赤い携帯ですよね。で、黒い大きなボンボンが二つ付いてるんですね。かしこまりましたあ。本人が戻り次第、確認して電話させますので」
 香枝の顔から血の気が引いた。血の気がひくのは今日二度目だが、さっきより血流が激しい。女子連が互いに顔を見合わせて不思議そうな表情になった。
「今の電話誰から?」
「赤い携帯に黒いボンボンって、籾山ちゃんの携帯じゃないの?」
「えーそうなんですかあ?」
 何も知らない派遣女子は、無邪気に眼を見開いた。
「『ブラッドハウンド』ってお店からで、宇田川さんのお連れの方が携帯を忘れたので伝えてくださいって。宇田川さんの携帯番号を知らないんで会社にかけてきたみたいですけどぉ」
 女子連の視線が、派遣女子から香枝の顔へと移動した。

「バカたれ」
「だから何度も謝ってるじゃん」
 夜七時、香枝は直己に呼び出されて十九階の小さな会議室にいた。直己はドアにカギをかけると白く広いデスクの角に尻を乗せ、傍らに立つ香枝を苦笑して見つめた。どこかで緊急購入したらしい黒いシャツとカーゴパンツが良く似合っている。何を着てもカッコいいと見惚れてしまうのは、恋のフィルターで視界がやや曇っているせいかもしれない。
「確かに携帯忘れたのはまずかったけど、会社に電話かけてきてこの手の伝言頼む店の人もどうかと思うよ?」
「そもそも携帯忘れなきゃ電話もかかってこなかったし、飲みすぎなきゃ携帯忘れることもなかったって話だよな」
「でもうまく誤魔化したし大丈夫だってば」
女子連には「仕事の相談がてら一杯だけ一緒に飲んだ。宇田川はさっさと帰ったので、その後は友達と夜中まで飲んだ」と咄嗟に嘘をついた。直己と香枝は険悪な仲というイメージが根強いらしく、二人きりで飲んだというだけで衝撃を与えたらしい。
「マジ? いつ仲直りしたの? そういえば籾山ちゃん、最近ウタさんの悪口言わなくなったような」
「仲直りっていうか・・M社のプロジェクトもあったし他にも仕事の絡みあるし、喧嘩なんかしてられないよ」
 香枝はPCを立ち上げ、仕事をしているフリをして会話を終わらせた。それ以上は突っ込まれなかったので、内心大いに胸を撫でおろしたのだ。
「うまく誤魔化したってお前・・」
 直己はうっすらと笑みを浮かべ、手に持っていたプライベート携帯を開いて香枝に画面を見せた。見ると営業部の三宅っちからのメールだった。タイトルは『やばくない?』とある。
『二人で朝帰りだったんだって? 女の子の間でネタになってる。交際疑惑とか何とかメールやメッセンジャーが社内中を飛び交ってるらしい。あんたら二人とも目立つんだからもっと気をつけないと』
 香枝は絶句したまま、三宅っちのメールを二度読んだ。
「・・・三宅っち、なんで直己にメールしてあたしにはしてこないの?」
「そこか? お前の突っ込みどころは」
 直己は香枝の左腕を掴んで引き寄せた。
「正直に言ってほしいんすけどね・・・皆にバレてもいいから堂々と付き合いたいとか、心の奥で考えたりしてね?」
「え?」
「お前何が欲しいって言ったっけ。こないだテレビ見てたとき」
「何って」
 直己が言わんとしていることはすぐにわかった。日曜日、直己の部屋でテレビを見ていた香枝は、タレントカップルのペアリングが可愛いと思ったので、「あたしも欲しいな」と何気なく口をすべらせたのだが、「揃いの指輪をどこにつけてくんだ? 会社か?」と直己に突っ込まれ、せせら笑われたのだ。
「別にねだってないし。それにリング欲しがるってそんなに悪いこと? 犯罪?」
「悪いなんて言ってねーよ。女だからまあしょうがないと思ってる。ただ自白行為をしたがる心理は良くわかんねーけど」
 直己は肩をすくめた。香枝の腕から手を離すと、からかうような笑みが消え、思慮深いというよりは冷徹な眼になった。
「まあ、噂が立っちゃったもんは仕方ない。でももし誰かに面と向かって聞かれたら、俺はとことん否定を貫く。籾山とは朝帰りもしてねーし付き合ってもないって断言する。認めたら最後、仕事がやりにくくなるし、周りにも気を遣わせることになるからな。お前にも完璧にシラ切ってほしいけど、できるか?」
「だからちゃんとシラ切ってるってば」
「やり方が甘いから噂が立ったんだろ? お前仮にもマーケなんだから、嘘も方便と割り切ってちゃんと使いこなせ」
 高圧的な口調に反感がつのる。確かに多少しどろもどろになった気もするが、咄嗟の嘘にしては上出来だったはずだ。あの場に居もしなかったくせに何がわかるのか。
「わかった」
 香枝は短く答え、両腕を組んで唇を引き結んだ。
「話はそれだけ? もう仕事に戻りたい」
「あーそうだ、もう一つ。今朝のテレカンのミニッツがまだ出てねーけど、どうなってんの。近藤が担当だったよな」
「近ちゃんならもう帰ったけど」
「なんだそりゃ。お前あいつと同じチームだろ。書くまで帰らせんなよ」
「は? あたし上司じゃないし、そんなことできないよ」
「じゃあお前でいいから今すぐ作成してディレクターに報告しとけ」
「それはあたしの仕事じゃない。それに直属の上司でもないあんたに命令されたくない」
「同じチームの誰かがカバーすんのが筋だし、そもそも上司でもない俺に言われるまでやらねーほうがおかしいんだよ。やること遅すぎ」
 直己が容易に引っくり返せるような指し手をした自分に、香枝は嫌気がさした。
「・・・三十分で提出する」
直己に背中を向けて部屋の外に出ると、香枝は大股で廊下を歩いた。十七階のデスクに戻って凄まじい勢いで作成したミニッツをメールで送信してから、沙織の内線に電話をかけて飲みに誘った。購買部にいる同期の沙織とは入社以来の親友で、直己のことも彼女にだけは話してある。
「あーはいはい、わかった。じゃ一時間後に」
沙織はもう事情を呑み込んでいるような口吻で言った。
一時間後、香枝は居酒屋のカウンターでイモ焼酎のロックを飲みながら、社内恋愛の面倒さを沙織に愚痴った。
「あー朝帰りがどうとかって、ウチの部にまで噂が飛んできた」
 沙織は大好物のコプチャンの串焼きを食べながら言った。
「でも皆スルーしてたけどね。マーケとか子供っぽいヤツ多いから異常に食いつき良さそう」
「ねえ沙織・・・直己のことどう思う?」
「どうって、売上に貢献してるしリーダーシップあるし逸材だと思うけど」
「性格は?」
「あんまり絡みないからわかんないけど、さばけてるね。迷いがなくて稀に見る自信家って感じする」
「自信家どころか、一年三百六十五日、上から目線なんですけど」
 ぶっちゃけ本当にあたしのこと好きなのか疑う。香枝は内心で呟き、焼酎のお代りをした。
「だいたいデートキャンセルしても一言も謝らなかったんだよ? 自分のせいじゃなくても普通は謝るでしょ」
「うん、そりゃそうだけど・・・・ネバネバしてきたなあ」
「え?」
「なんかあんた、言う事が一般女子みたいになってきた」
「一般女子ですから!」
 沙織に指摘されるまでもなく、オクラ納豆みたいにネバネバしている自分のことは自分自身が一番よくわかっている。だが直己の言動にいちいち引っかき傷を残してしまうヤワな心をどうしようもないのだ。
 指輪が欲しいとうっかり洩らせば、「女だからしょうがない」と口にするあの神経。口達者なのをいいことに、仕事上でもいつも香枝をやり込めてアフターフォローのメールひとつしてこない。「同僚だけど彼氏だろ!」と言いたい気持ちを抑制しているのは、「公私混同」の一言で片づけられて終わりなのが目に見えているからだ。むかつくし、悔しい。今この瞬間もあの腕に抱かれたいと焦がれる「女」が自分の中に居ることが、何よりも情けなくてたまらない。


 沙織とは一時間だけ一緒に飲み、『ブラッドハウンド』に携帯を取りに行ってから帰途についた。今夜も熱帯夜になるのだろう、お湯の中を歩いているような湿気がたまらなく不快だ。昨夜も今朝もシャワーを浴びていないので、体が気持ち悪くてしょうがない。
 最寄りの駅に着き、大通りから小道に入って人気のない小学校の裏手まで来ると、嫌でも直己のことが想起された。このコンクリート塀に押し付けられてキスされた夜のことを、倦怠期の妻のような嘆息と共に思い出す。喧嘩の原因になった三宅っちは、今では香枝よりも直己と親しくなってしまったが、美人受付嬢と順調な交際を育んでいるらしい。
「ねー、飲みに行かね?」
 背後から声が聞こえたかと思うと、香枝はいつの間にか三人の男に囲まれ、行く手を阻まれていた。突然のことに体が凍りついた。
「ばんはー」
「綺麗な人だなーって思って、駅からついてきちった」
 全員少なくとも三、四歳は香枝より若く、だらしなく着崩した格好をしている。相当酒が入っているようだ。無言で男達の間をすり抜けようとすると腕を掴まれた。刹那、恐怖に襲われる。周囲には人っ子一人おらず、無人の小学校と公園があるばかりだ。
「ねーいーじゃん。一緒に飲もうよ」
「俺んちすぐ近くなの。酒とかゲームとかたくさんあるし」
 左腕を掴んだ男の視線が、香枝の顔と胸を往復している。ゾッとして振りほどこうとしたが男は隠微な笑い方をし、ますます強い力で掴み上げた。
「知らない人と飲むわけないでしょ。腕離してよ!」
「おー気ぃ強ぇー。マジ好みなんすけど。ね、トシ幾つ? OLさん?」
「俺らの相手してよ。どーせ家に帰るだけでしょ」
 別の男に馴れ馴れしく肩を抱かれる。香枝は即座に振り払うと、渾身の力を込めて眼の前の男の脛を蹴った。
「わっ!」
「行かないったら行かないんだよ! 離せバカ!」
 振りあげたバッグの角で、腕を掴んだ男の顔を思い切り殴る。悲鳴をあげた男の手が離れたので全速力で駆けだした。百メートル先のマンションではなく大通りに戻ったのは、駅前に交番があるからだ。だが追ってくる気配がなかったのでタクシーを拾い、迂回して逆方向から帰宅する道順を運転手に告げた。両手を口にあてて激しい息遣いを抑えようと前かがみになると、震えている膝が視界に入った。バッグから携帯を取り出し、直己の番号を呼び出して発信ボタンを押そうとした親指が止まる。
(まだ仕事中かもしれない)
 音を立てて携帯を畳み、香枝は瞼を閉じて座席にもたれかかった。




八月のアンビバレンス・ラプソディー (1)
 最悪な四日間の始まりは火曜日だった。土曜日に出張が入ったため、約束をしていたディズニーランドに行けないと直己から告げられたのだ。
「大阪に出張って、なんでよりによって今度の土曜に?」
「しょーがねっしょ。鹿島田選手の都合つく日がその日しかねーんだから」
「直己が契約選手の接待することないじゃん。しかも東京ならまだしも大阪の選手って」
「俺の同席は向こうの指名なの。鹿島田選手とはメル友なんで」
「・・あーもう、楽しみにしてたのに」
 香枝は高いスツールに座った足をぶらぶらさせた。仕事人間の自分がデートのキャンセルで文句を言うとは落ちぶれたもんだと自嘲しつつ、カウンターの上のワインボトルを取り上げたが、直己が奪って香枝のグラスに赤ワインを注いだ。直己は女の手酌が嫌いなのだ。
「ディズニーランドねえ」
 ボトルを置くと、小馬鹿にしたような鼻息を洩らした。
「お前さー、たまの休みに何時間も長蛇の列に並んで嬉しいか? 週末は猛暑らしいし、顔が焦げて後悔すんのが関の山よ?」
「UVガードしてくもん。それにお喋りしながら並ぶのも楽しいじゃん」
「じゃ勝林軒に付き合ってやる。あそこも長蛇の列だしな」
「誰もラーメン屋の話なんかしてないし!」
 香枝は一気にグラスの半分を飲み干した。
「今週逃したら当分行けないんだよ? 来週末は二人ともイベントにかりだされるし、再来週はいとこの結婚式で実家帰らなきゃだし、その次の週はえーと」
「俺が出張」
「ほーら永遠に行けない」
「わかった。じゃ女子友と行ってきな」
 それじゃ何の意味もないじゃん、と香枝は内心で毒づいた。直己の顔がだんだん眠そうになってきたのも癪に障る。
 本当は何が何でもディズニーランドにこだわっているわけじゃない。直己と付き合い始めて四カ月弱。平日に時間が合えば今日みたいに夜九時とか十時位から飲み、週末はどちらかの部屋で過ごすというパターンが固定化しつつある。その週末でさえ双方とも仕事のメールはチェックするわ、出勤はするわで落ち着かないので、たまには朝から晩まで仕事を忘れてお出かけしたい・・というのが香枝の偽らざる本音である。映画なら気軽に行けるが、慢性寝不足の直己を暗がりに連れていこうものなら即効落ちるし、ドライブにも行きたいが同様の理由で直己に運転させるのは大変危険なので、大定番のディズニーランドに白羽の矢をたてたのだ。
「で、いつ帰ってくるの?」
「日曜は梅田と神戸の店舗視察して、月曜は大阪の営業と打ち合わせしてくっから、戻んのは月曜の夕方あたり」
「ふーん」
 香枝は残りの赤ワインを喉に流し込むと、「お代り」と直己にグラスを差し出した。


「・・・ムカムカする」
「だろうな。あんだけ飲めばな」
 深夜一時半、二人は大通り沿いのバス停のベンチに座っている。店を出た後でタクシーに乗ったものの、車の振動で香枝の気分が悪くなってしまい、降りたらちょうど眼の前にバス停があったので一休みしているところだ。胃のむかつきもひどいが、頭がグラングランして平衡感覚が保てない。直己の膝の上に倒れ込むと、香枝は「うー」と唸った。
「俺の膝で吐いたら殺す」
直己が頭上から不機嫌な声を浴びせた。
「つーかお前、明日の朝七時半からテレカンだってわかってるよな? ガバガバ飲みやがって、遅刻したら承知しねーからな」
 テレカンとはテレビ会議のことだ。時差のあるアメリカ西海岸との会議なので時間設定が異常に早い。
「うるっさいなー。あったまグラグラしてんだから黙ってよ」
 すごく楽しみにしてたのに今週末のデート、と香枝はまだ未練がましく心の中で愚痴り続けている。
「そこのコンビニでトイレ借りて吐いてきな。でないとタクシー乗れねーし、タクシーに乗んねーといつまでも帰れない。そして俺はクソ眠い」
 肩を掴まれ上体を起こされた。香枝はしぶしぶ立ち上がり、頭と胃を揺らさないようにゆっくり歩いて二十メートルほど先のコンビニに向かった。トイレに入ると、芳香剤のきつい匂いに胃がぐうっと持ち上がり、飲み食いしたものを全部戻した。苦しくて涙が出る。何度うがいをしても口の中が気持ち悪いのでミントティーのペットボトルを買い、バス停に戻ると直己の眼が閉じていた。
「直己・・ねえ・・」
 肩を掴んで揺さぶったが眼を開けない。直己は一旦眠ってしまうとテコでも起きないのだ。あー困ったなどうしよう・・・と一応は焦っているのだが頭が一向に働かない。直己の隣に腰かけ、ミントティーを一口飲んだ。蒸し暑い。八月のクーラーもない戸外でよく眠れるな、とぼんやり呆れている香枝の頭にも強烈な眠気が襲来し、「五分だけ」と呟きながら眼を閉じた。


 眼を開けると視界が明るかった。なんでだろうと眉をひそめて考えた次の瞬間に血の気がザッとひいた。朝だ。身を起こして周囲を眺め渡すと、学生やサラリーマンがまばらに歩道を歩いている。
「なななな直己、直己!」
 眠っている直己の手首を掴んで腕時計を見る。七時十分前だ。
「直己、起きてよ。ねーってば!」
 両肩を掴んで揺さぶると、切れ長の眼がいきなり開いた。傾いた上体のまま香枝を見る。
「今何時」
「七時十分前!」
「うっわ・・」
 直己は頭を掻いて欠伸をしながら、周囲を見渡した。
「ありえねー。バカ学生じゃあるまいし野宿って・・いてて、なんか節々が・・」
「直己が寝ちゃうからあたしもつられたんじゃん」
「人のせいにすんな。お前はまっすぐ会社に行け。顔洗う時間くらいあんだろ」
「直己は?」
「家に戻る時間はねーから、スポーツジムで髭剃ってウェアに着替える。『ひと汗かいてから来ましたー』ってパフォーマンスすっから」
 直己が通っているジムは会社から徒歩二分の距離にある。 
「自分ばっかり着替えてずるい」
「じゃあ二人揃って昨日と同じ服で会議に出ろってか? あっという間に噂の二人になるだろが」
 直己は空車のタクシーに手をあげて香枝を乗せると「じゃな」と言った。
「え、一緒に乗らないの?」
「アホか」
 本当に「アホか」という顔をされたので心からむかついた。警戒し過ぎだ。そうそう誰かに目撃されるはずなんかないのに。
 会社に着くと、香枝は歯磨きと洗顔と化粧を手早く済ませ、七時二十五分に会議室に入った。七人の会議参加者のうち、同じマーケの三人のアラサー女子連だけが先に来ていた。
「あれー籾山ちゃん、ひょっとしてどっかにお泊り?」
「ほんとだ。昨日と同じ服じゃん」
「いやー泊りっていうか、飲み過ぎて家に帰れなかっただけ」
 直己は間に合うだろうかと懸念しながら、香枝は椅子に座った。
「あはは、そんなことだろうと思った」
「どこで飲んでたの?」
「えーとなんだっけ。『ブラッドハウンド』ってとこ」
「あ、知ってる。そこってウタさんがたまに使う店じゃない?」
 香枝は一瞬固まった。ウタさんというのはもちろん直己のことである。
「そうなんだ」
 とシラを切ったとき、直己が会議室に入ってきた。赤いジップアップシャツに黒いトレーニング用ハーフパンツ、真っ赤なシューズという究極のカジュアルさだが、何しろこの会社はスポーツブランドなので誰も驚かない。
「おおカッコいー」
「ウタさんの生足初めて見た。スタイルいいと何でも似合うなあ」
「お前ら、朝っぱらからセクハラはやめなさい」
 直己はニヤニヤ笑いながら、iPodのイヤホンを耳から外してデスクに置いた。





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